デビュー25周年を記念し、鮎川麻弥さんが11月26日に3枚組ベスト盤『Reply-MAMI AYUKAWA 25th Anniversary Best Album』を発売。鮎川さんのデビューのきっかけとなったのが、TVアニメ「重戦機エルガイム」の主題歌・挿入歌として流れた『風のノーリプライ/傷ついたジェラシー』を歌ったことから。「重戦機エルガイム」と言えば、富野由悠季(当時は富野喜幸)監督。その後も鮎川麻弥さんは、富野監督が手がけた「機動戦士Zガンダム」「機甲戦記ドラグナー」を通し、シンガーとしての経験を重ねてきた。もちろん最新ベスト盤『Reply-MAMI AYUKAWA 25th Anniversary Best Album』へも、上記楽曲を収録。今回、エキサイトアニメスタッフの思いつきから、25年の刻を超え、富野由悠季×鮎川麻弥スペシャル対談が実現。その日の模様をリアルにお届けしよう。気合いを入れて読んでもらいたい。
デビューは富野監督にかかっていた!?
−−お二人の出会いは、TVアニメ「重戦機エルガイム」の主題歌・挿入歌として流れた『風のノーリプライ/傷ついたジェラシー』を手がけたことがきっかけでした。まずは富野監督が、なぜ鮎川さんを起用したのか?その理由から教えてください。
富野由悠季監督(以下 富野監督):「重戦機エルガイム」の監督を担ってたとはいえ、僕にはシンガーを決める決定権まではありませんから詳しい内情は知りません。
鮎川麻弥さん(以下 鮎川):わたしにも決定権はないので(笑)、「どういう経緯で?」という詳しいことまでは、わたし自身もわからないんです。
−−え〜っ!?話、終わっちゃいますよ(笑)
鮎川:当時を思い返すと、わたしはアマチュア時代、ライブハウスで唄っていました。そんなわたしの元へキングレコードのディクレターの方が、「こういうアニメーションの主題歌を唄う子を探してるんだけど、キミがいいなと思ったんだ。キミ自身は、どう?」というお話をいただいたことが、デビューへのきっかけだったんです。
もちろんわたしは、「ぜひ、やらせてください!」と返事。ただ、「最終的な判断を下すのは富野監督だから、富野監督が「うん」と言わなかったら、ダメになるから」とも言われたんですね。
富野監督:えっ、そうなの?!それはきっとレコード会社の人が責任を全部かぶりたくなかったから、責任をこっちへ転嫁するような話をしたんだと思う(笑)
“質”へのこだわりがはじまった時代
−−富野監督自身、アニメのテーマ曲に関しても、並々ならぬ意欲を注いでましたよね。
富野監督:「ない」と言ったら、嘘になってしまうね。今年は「機動戦士ガンダム30周年」で、色々な行事があったことから、嫌でもファースト・ガンダム時代のことから思い返されゆくことが多かったし、これはその当時のことを振り返りながら改めて気づき直したことなんだけど、「重戦機エルガイム」や「機動戦士Zガンダム」を制作していた頃って、レコード会社の中にも、アニメのオープニングやエンディングの歌の“質”へこだわりだした人が増え始めていた時期だったんです。
それはどういうことかと言うと、まだファースト・ガンダムを手がけていた頃のキングレコードの中には、この手の作品を手がける部署は、童謡や小学唱歌などを手がける“学芸部”しかなかったんですよ。僕らが「機動戦士ガンダム」を手がけた頃の時期から、僕ら自身は、アニメのテーマ曲が学芸レベルの歌から抜け出していく努力をしてきたし、作品同様、歌でも相応のレベルを求めたかったよう、その働きかけをレコード会社の方々へ行っていました。
鮎川:そういう動きがあったんですね。
富野監督:でも同時に、アニメのテーマ曲へ、いわゆるポピュラー畑のシンガーを使うことに対して、僕らも、レコード会社側も、ちょっと懸念していた部分があったの。それは「出しても、そのシンガーの将来に対する責任までは負えない」という不安。
鮎川:責任ですか。。。
富野監督:そう。そんなときに、僕らの前にキングレコード側からの紹介で現われたのが、この人(鮎川さん)(笑)。ある意味、僕らが求めていたことに対する人身御供みたいなもんだよね。でも鮎川さんを観て、「この子は打たれ強そうだからいいな」と思ったのも、本当のところ(笑)。
鮎川:わたし、打たれ強いですからねぇ(笑)。ここまで25年間ずっと現役で歩んでこられたのも、芯にその意志があるからなのは確かだと思います(笑)
当時は頭ごなしに抵抗ばかりされていました
富野監督:当時は、レコード会社的にもホント過渡期だったんですよ。まだまだ“学芸部”の雰囲気が強かった現場の中。それこそ「重戦機エルガイム」前までの頃って、部署には昔のレコード会社的な発想しかない人ばかりがいるわけだから、そういう人たちに、新しい挑戦をしていく理由をわからせなきゃいけない。当時の人たちには、「アニメの楽曲に、なんでこういうポップスを当てなきゃいけないの?」「ポピュラー畑の人を、アニメのシンガーに連れてきてどうするの??」という頭ごなしに抵抗してゆく意識しかなかったんです。でも、レコード会社の若手陣には、「もう、そういう時代じゃない」という意識がしっかり芽生えていました。事実、Neil Sedaka(「Z・刻をこえて」などの作曲を担当)へアニメのテーマ曲をオファーしてみたり。そういう動きを客観的に観ながら、僕らも「頑張ってるな」というのは肌身に感じていました。だからこそ、その心意気を買い、僕らもまた「アニメソングをポピュラーソングにしてかなきゃいけない」という意識を、より強く持つようになっていたし、そのための意欲を持って、歌の制作にも取りかかっていたんです。
そんなときに、彼女が現われたわけだけど。その姿や姿勢を観て、「この子なら(荒波の中へ漕ぎだしても)大丈夫と思ったのも事実です。
鮎川:それは嬉しいです。わたし、父と母に健康な子として産み育ててもらえたことと、3歳から歌を習わせてもらえたことは、本当に感謝し続けていることですからね。
富野監督:そんな経緯があったと言うか、こちら側のプランニングに応える形で、レコード会社側が音源制作面での環境を取りまとめてくれたことから、ようやく「アニメソングに対しても本格的なクオリティーを持って望んでいける」ようになったわけなんです。
−−それ以前のアニメソングに関しては、なかなかポピュラリティーさを求めるのは難しかった環境だったんですね。
富野監督:だって当時、「アニメの歌」と言ったら、♪燃え上がれ〜燃えあがれ〜♪というのを求められるわけ。ああいう曲調の歌を聴くのが嫌だったからこそ、「重戦機エルガイム」のときに、「ようやく求める姿を作れるときが来た」と思ったし、この作品以降は「この方向(ポップスシンガーの歌をテーマ曲へ起用する)で進むだろうな」とも思えていました。でも同時に、すごく「嫌だなぁ」と言うか、「自分は取り残される」とも思ったわけです。
鮎川:それは、何でだったんですか?
富野監督:楽曲の制作をプロの作詞家や作曲家の方へお願いするようになった頃から、過去の楽曲たちのクオリティーと歴然となる差を感じてしまったのね。とくに僕は井荻燐として作詞をすることもあったので、プロの作詞家との実力の格差は、強く実感していたことでした。
鮎川:でもわたし、富野監督が作詞をしてくださった『傷ついたジェラシー』は好きですよ。♪唇が痛みを堪えて 泣かないでわたしの心よ♪とか、すごく繊細な表現だなぁ〜と思えてましたし。今でも好きなフレーズですよ。
富野監督:出来ないなりに、ムキになって制作へ望んでいた自分を当然当時は自覚していたし、それこそあの頃で言えば、竜真知子さんや売野雅勇さんに対し「絶対に負けたくない」という気持ちを持ってました。それと同時に嬉しかったのが、まだ当時はアニソンという言葉がなく、「アニメの歌」とよく言ってたんだけど、「アニメの歌だから」とバカにすることなく、彼ら彼女らは真剣に創作へ向き合ってくれました。言ってしまえば、今のようなアニソンの流れの道筋を最初に作ったり、方向づけを求めてきた立場としては、プロの作家さんたちが高い意識を持って作品へ望んでくれたことは、本当に嬉しいことでした。それは、鮎川さんのようなシンガーも含めてね。
鮎川:ありがとうございます。
富野監督:でも、僕の中には、25年間抱えてるつらい想いもあるわけよ。
鮎川:えっ、それはどんな想いなんですか?
富野監督:当時、アニメソングからヒット曲を出せなかったと言うこと。
狙うはミリオンセールス!?
−−当時からアニメソングだって相応のヒット曲になっていましたし、いまだに親しまれている楽曲が多いのも事実ですよね。
富野監督:僕が言うヒットソングというのは、チャートのベスト3に入らなかったということ。そこまでの引きを持った楽曲を届けられなかったという面では、アマチュアだったんだろうし、今でもそれを実現出来てないという現実が、僕の歴史の中にはドォ〜ンと体積している。だから、そこはかなりつらいことだよね。
−−でも、時代性という壁もあったんじゃないですか?
富野監督:それでも、あくまでも売り上げてナンボの世界なわけじゃない。
鮎川:確かにそうなんですけど。でも楽曲の底力という面では、今になってそれがすごく証明されてるんだなというのを、わたしは強く実感しているんですね。けっして一過性の歌ではなく、楽曲/アニメ本編を総合したうえで、一つの作品としていまだに長く、多くの人たちに親しまれ続けている。その力の強さを、ここ最近はとくに強く実感するんです。
富野監督:だけど、どんなレベルの作り方であっても、「1曲の持つ力」を僕は信じたいし、「その力を付けられなかった作り手はダメじゃん」と言うしかないから、あまり自己評価は出来ないのね。
ただ、鮎川さんが言ってくれたよう、「歌が長持ちしてるんだな」というのは、この間10年ぶりにカラオケに行って痛感しました。アニソンというカテゴリーを抜きにして、今でもしっかりクオリティを持ってるじゃないと思えた気分は、それほど悪いものじゃないなというのは実感しましたよ。でも、やっぱりミリオンを取れなければ駄作なんですよ。
鮎川:いや〜、厳しい!!確かに商業音楽ですから、数字というのはいなめないですけど。ただ、アーティスト的な考えで言うと、あの曲を歌った当時のわたしは、まだ二十歳そこそこだったんです。そのときの自分と、同じ曲を唄っている今のわたしでは、表現の仕方はまったく違うし、進化していると思うんですよね。それが歌の良いところで、経験を重ねれば重ねるほどに熟成していく。さらにライブで唄うと、お客さまの返してくれるエネルギーやエモーションが、全部こちらへ跳ね返ってきて、それをまたわたしのフィルターを通し、さらに跳ね返していける。その循環が、どんどんいい状態で積み上がって行けば行くほど、歌がどんどん活きてきて、さらに生き生きと進化し続けていく。それをここ数年、とくに顕著にわたしは実感し続けているし、それこそ、わたしは「名曲の活きる道」じゃないかと思っているんです。
富野監督:そうだと思います。そういう風に作ってゆくことは、30年前から意識していたことでした。でも、そういう部分で歌を慰めることは出来るけど、「ミリオンでなければ嫌だ」という現実もやっぱりあるわけ。知ってる人だけが知り、その人たちだけで楽しめばいいという考え方でやっている人を、僕はプロとは思えない。それを公言してしまったらアマチュアになってしまうわけだし、それを言いたくないからこそ、僕はつねに「ミリオンを狙う」というテーマを掲げ続けているわけ。
たとえばの話、ミリオンを目標にしながら、結果1/10しか達成できなくとも、そこそこの結果は出したことになる。でも、最初から10万枚という低い数字を目標にしながら、その1/10も達成できなかったら嫌じゃない。だからこの歳になっても僕は、バカみたいに、その目標だけは撤回しないんですよ。
鮎川:物を作る人の意識は、そうあるべきだと、わたしも思います。
富野監督:今のネット社会の場合、それがクリック数に値するのかまではよくわからないけど、少なくともクリック数だけを考えたら、ミリオンの数字に当たる100万回なんて全然足りないよね。だってミリオンセラーは、みんなお金を使ってくれての数字なわけだからさ。それをクリック回数に置き換えるとしたら、1億回はクリックしてもらわないと匹敵しないのかも知れない。けど、そういう夢は持ってていいんじゃないかと思ってますよ。
「もういいや」ではなく「まだまだやれる年齢」
鮎川:わたし、デビューした頃はあまり先のことは考えていなかったんですね。だからと言って過去を振り返ることもなく「とにかく、今演らなきゃ」という目の前のことと、ちょっとだけ先の目標。それをわたしは、とにかく一生懸命にやりながら走り続けてきました。
でも今回、こうやってデビュー25周年記念の作品を出すことで、初めて自分の歩んできた道を振り返れました。アルバムの監修ということで、収録した全曲の解説も自分で書かせていただきましたし、ライブのために譜面を通して振り返るのとは違い、その楽曲を作った当時の自分の精神状態まで心を巻き戻し、「あの時はああだったな、こうだったよね」と振り返ったのは、今回が本当に初めての経験でした。
その作業をして思ったのが、自分の歴史を振り返るってとても大事なことなんだなというのを知れたことでした。ある意味“我が身の温故知新”じゃないですけど、「わたしって、こういう人間だったんだ」。そういうことがわかった途端、それまで迷っていた曲制作に於いても、以前より早くジャッジ出来るようになったんです。相応のキャリアを重ねながら、その中で自分なりに熟成し、判断できる自分になれたからなのかな?とも思ったんですね。
富野監督:鮎川さんはまだまだ年寄りに入るような年齢じゃないから、もっともっと「迷いの振幅」は大きくなくちゃいけないんですよ。
鮎川:迷いの振幅ですか?
富野監督:自分の不得手なものも含め、もう一度自分で勉強し直すくらいの気分で、違う要素を取り入れてくことが大事。それをやったうえで、「またわかんなくなっちゃった」という振幅を、まだまだ何十年も続けていかないと、経験の年齢の壁は乗り越えていけないかも知れない。
鮎川:あ〜、それはあるかも知れないですよね。
富野監督:よく言う、「ここまでやってきたからいいんじゃない?」という言い方も、今の時代の中ではすでに違ってるんですよ。
鮎川:えっ、それってどういうことなんですか?
富野監督:今や日本人の平均寿命も、30〜40年前に比べたら明らかに伸びているよう、今の50〜60代だって、まだまだ若いんですよ。たとえば40代にしても、昔は“中年”という世代の数字論の中へ納まっていたかも知れないけど、今の長寿になった日本の価値基準で捉えれば、まだまだメンタリティ的には“青年期”に入ったくらいの時期だと思います。
鮎川:それは、感じますね。今の二十歳の年齢が、昔で言う10代中頃な感覚ですもんね。
富野監督:それくらい今は、精神面でも、昔の価値基準より10歳は遅れてるっていうこと。今の鮎川さんなんて、僕から観たら30代にようやくなったか?!くらいの感覚だもの。
じつは僕自身、あと2年後には70歳を迎えるんだけど、たまに70歳という年齢に押し潰されそうにもなるんだけど、でも、今の時代に当てはめたら、「もういいや」ではなく「まだまだやれる年齢」なんだという意識にもなれたんですよ。「そうか、俺はまだまだやらなきゃいけない年齢なんだ」と思えたら、今でもどんどん知らない価値基準を求め、そこで「もっともっと勉強して不足したところを埋めなきゃ」となっていけてるからね。
わけのわかってない人ほど口数が多くなる
鮎川:ベスト盤『Reply-MAMI AYUKAWA 25th Anniversary Best Album-』の制作時期に、過去の写真をひっぱり出していたら、レコーディングの時に富野監督と撮影した写真が出てきたんです。あのとき富野監督には、すごくレクチャーされたんですけど…覚えてらっしゃいます?
富野監督:覚えてるわけがないよ(笑)。きっと、ツベコベツベコベなんか言ってたんでしょ(笑)。
鮎川:わたしも細かいところまでは覚えてないけど、そうだったと思います(笑)。ちなみにこの写真、『Z・刻をこえて』のレコーディング風景なんです。きっと、歌詞のことに対していろいろ言ってくださってたんだと思います。
富野監督:覚えてないなぁ。
鮎川:わたしもですけど(笑)。当時は、まだまだ子供でしたもん。
富野監督:あっ、ホントだ。可愛いねぇ(笑)
鮎川:こういう時期もあったんです(笑)。でも、「今のほうがいい」と言ってくださる方も多いんですよ。
富野監督:そうなのっ?!
−−富野監督自身、楽曲に対する思い入れが強かったからこそ、ここまで力を入れてディレクションしていたんでしょうね。
鮎川:ずっとレコーディングスタジオへ籠もり、すごく細かくディレクションなさっていたのは覚えてますよ。
富野監督:簡単に言っちゃうと、レコード会社が鮎川さんを連れてきて、ポピュラリティーな音楽土壌へ向かっていける状況を作ってくれた。だからこそ、こちらもその意識に応えなきゃと突っ張っていたんだろうね。
当時、何に一番困ったって、「ポピュラーソングとしてヒットさせる方法を僕は知らない」ということ。その壁に突き当たったのは事実ですよ。よく、「わけのわかってない人ほど口数が多くなる」って言うじゃない。きっと、そういう時期だったんだと思います。
アニソンだから…なんて言葉はもう絶対に聞きたくないんですよ
−−今でこそ、アニソンシンガーやアニメに起用された楽曲が、紅白で流れる可能性も非常に現実的なものになってきていますけど、当時の時代背景的に、そこはとてもハードルの高いことだったとも思います。
富野監督:だけど昔も今も、ヒットをするとひと晩でシンデレラになれるからね。それが、「芸能の世界」なわけじゃない。「アニソンだからダメ」「アニソンだから数千枚売れれば御の字なんだよ」なんて言葉はもう、絶対に聞きたくないんですよ。
−−富野監督は、ずっと「対・芸能界」に戦いを挑んでいたわけなんですね。
富野監督:そうだよ。毎回喧嘩を売りに行ったんだけど、相手にされるどころか、毎回すかされた。それが、悔しいんだよ。
−−でも今は、アニソンもしっかり支持される土壌が出来ているのも事実ですよね。
富野監督:それは当事者の言い逃れでしかないこと。僕は、「アニメだって芸能の一部」だと思ってます。よく「アニメは特別だから」と言ってるバカがいるけど、僕はそういう人たちと一緒にアニメの仕事はしたくない。でも、アニメの世界へ入って来る人たちは、そういう人ばかりなの。僕がアニメを好きにならないのは、そういうところに原因があるわけ。だから今でも、こうやってムキになって言葉を発していくし、むしろ、中途半端なことをやるくらいなら、その物事に対しては一切やらないほうがいいと思えるまでに来ちゃってる。テレビ番組を通し歌を発信している以上、そこをきっかけにシンガーを紅白歌合戦へ送り出すくらいの意気込みで望んでいかなきゃ、それは作り手がバカってことなんだよね。
鮎川:富野監督は、作品を作るごとに闘ってますもんね。
富野監督:10月に行われた音楽イベント“Soul G”を観てて嬉しかったのが、毎回毎回楽曲を通し勝負を賭け、その経験を積み重ねながら20年や30年という月日が経過。それらの楽曲を久しぶりにライブの場を通して聴いたとき、「今でも新鮮に聴けるよね」という喜びがあったことです。その楽曲を作った当初は決して「この歌は長く支持され続ける」なんて言えないわけじゃない。でもあの場で、たくさんの人たちに支持されてる楽曲を聴いたときに、その無念だった気持ちがどこか報われた意識は持てたよね。
鮎川:そりゃあ、発売した当時にドカ〜ンとヒットすれば、それに越したことはなかったと思いますけど、こうやって長年支持され続けているのも、楽曲の持つ力なんだと思うんです。
富野監督:アニソンを歌っても嫌がられなくなっている時代。それは、すごく嬉しいことだよね。
鮎川:出演したアーティストのみなさん、それ相応にキャリアを積み上げ、あれだけのパフォーマンスを魅せていました。そういった面でも、絶対に間違っていなかった人選だったと思います。
富野監督:そうなれるよう、作っていってたからね。
鮎川:お金をかければ、ある程度の仕掛けやヒットというのは作れるのかも知れないですけど、こういう“息の長い力”は、真似しようと思っても出来るものじゃないじゃないですか。こういう多くの人たちの手と時間と気持ちが集結してなる力は一日にしてなるものではありません。そこに根本的な差がありますよね。わたしたちはすごくいい作品たちにめぐり逢ってきたんだなと思います。
リバイバル・ソングにアニソンはなっていない
−−富野監督の意志を持った遺伝子を胸に受け継いだシンガーたちが、今でも数多く現役で活動しています。その現状を、富野監督自身は、どのように受け止めているのでしょうか?
富野監督:僕にはわからない。むしろ、そう思った瞬間に自己満足に陥るから、絶対に思わない。
鮎川:富野監督は、可愛い我が子を谷底へ落とす獅子のような精神をお持ちですが、それもすべては愛情の裏返しですからね。
富野監督:いや、愛情はないよ、愛情は(笑)。
鮎川:でも、親心はありますよね。
富野監督:ひょっとしたら、かなりね(笑)。
鮎川:かなりありますよね。「どうしよう…」みたいな(笑)。ずっと、そう思っていてください(笑)。よく言うじゃないですか、心配させる子のほうが可愛いって(笑)。
富野監督:僕にしてみれば、今回“Soul G”を経験したことが本当に良かったと言うか、何が嬉しかったって、歌謡界で言われるリバイバル・ソングにアニソンはなってないってこと。何十年とキャリアを積み重ねてきた人たちが、決して“懐かしい歌手”ではない受け止め方を間違いなくされている。それは、あの現場を観て強く感じましたね。
それともう一つ。この対談を通して「意外!」と思えたのが、こうやって同じ立場で彼女と話が出来てるってこと(笑)。だってデビュー当時なんて、ガキというイメージしかなかったからね(笑)。
鮎川:どうしても最初のイメージをずっと持ってしまうものですからね。
富野監督:これからももっともっとヴォーカリストとしてコンスタンスに唄い続けられるように、もちろん、今でもミリオンをめざして欲しいとも思ってるけど。
鮎川:監督って、わたしのオリジナル曲は聴かれたことないですよね。
富野監督:知らない。だって、音楽自体聴かない人だから(笑)。
鮎川:今回発売するベスト盤『Reply-MAMI AYUKAWA 25th Anniversary Best Album』には、わたしのオリジナル曲だけを集めたオリジナルソングコレクションというDiscも入ってますからぜひ聴いてください。監督の育てた遺伝子が、こうやって花を咲かせながらがんばっている姿を、きっと感じていただけると思いますから。
富野監督:そう?!
鮎川:監督、聴く気ないでしょ(笑)。
話し尽きないおふたり。多いに盛り上がり、取材時間は2時間を超えました。
この模様は、月刊ガンダムエース22年1月号にも掲載されていますので、是非そちらもご覧下さい!
PHOTO:イシグロミカコ/TEXT:長澤智典
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